2010/05/14

Island : 作品






Concept
日本では床に座る生活を好む人が少なくありません。昔から日本人は空間を常に空っぽに保ち、1つの空間を居間に使ったり、寝室に使ったりと用途によって多目的に使ってきました。しかし、現代の住宅で日本人はたくさんの家具を持った事で、床のスペースを効率的に使えなくなってしまいました。さらに、現代人はもはや家具の機能なくては生活できません。「Island」は機能の固定された家具ではなく、空っぽの床から必要なときに家具の機能を引き出して使うためのデザインです。普段はカーペットとして使い、タグを引っ張ることでローテーブルを引き出して使うことができます。

Au japon, de nombreuses personnes préfèrent vivre à même le sol. Traditionnellement, les japonais laissent l’espace et le plancher libre afin de pouvoir varier l’utilisation de leur pièce, selon le besoin elle peut devenir un salon ou une chambre à coucher. Aujourd’hui les meubles occupent de plus en plus de place et il devient difficile d’utiliser efficacement cette espace. Ces meubles sont pourtant nécessaire à la vie de tous les jours. «Island» est ainsi un meuble sans fonctions figées, il est conçu pour exploiter les atouts d’un meuble au moment voulu, tout en conservant un espace vide. Il peut donc servir de tapis au quotidien et se transformer en table basse en cas de nécessité.

In Japan, Many people prefer to sit on a floor and relax there. Originally japanese people used to keep their room almost empty and use the same floor space on many purpose. However, nowadays they have a lot of furnitures which kill much spaces and it makes their room small and unpractical. But they can't live without them anymore. "Island" is designed to quit putting too many furnitures and to use spaces efficiently. You can use it as a carpet and also you can use it as a low table to pull a table up. It can be matched current life in Japan.

フランスのデザイン


もう5月も中旬。
今日先生に言われて、残りの研究計画を立ててるときに気づいたけど
残りの留学生活がすごい短い。
7月中旬に帰ると計算してあと10週!!!
週で数えると短さをすごい実感する。
まじかぁ。もう終わりかぁ。

そんなわけで今日はこっちに来て感じたフランスと日本の学校でのデザインのやり方の違いみたいなのをまとめてみたいと思います。
僕は今履修してるのも入れて今までデザイン系の授業は4つ履修しました。(一個はついて行けずドロップアウト)
決してフランス全体のデザインの事もこの学校全体のデザインの事もちゃんと知ってるわけじゃないんですが、少なくとも僕の受けた授業でのデザインの進め方は日本のそれと少し違うと思いました。

一言で言うとフランスのデザインはすごい論理的。
ちゃんと調査をして、結果を分析して、話して話して話して・・・
コンセプト決めてアイデア出しながらの話して話して話してーの・・・
とりあえずディスカッションが熱い!長い!
こっちの学校ではアウトプットでモノを作ってみせるというよりも
自分たちで調査して立てたコンセプト、そこからどういうアイディアに落とし込んだか、またどうしてそのアイディアが生まれたのかをちゃんと説明する事に重きが置かれている気がします。

論理的なプロセス
調査をしてコンセプトを立ててからアイディア展開という流れは変わりませんが
面白かったのが僕の班でやったアイディア展開の仕方。
まずボリュームの面から見ると大、中、小というのがあります
次に形の面で見るとまるっこい形、角張った形、複合体とあります
さらに入力の仕方で見るとボタン、ダイヤル、タッチパネルがあります
さらに・・・
っていう風に色んな視点から自分たちの作ろうとする物を分解してアイディアを出してそれをマトリクスにして全組み合わせを描いてみる。例えば上の例で行くと、「大の、角張った形の、ダイヤル方式」で一個。
すごい論理的な気がしますよね?
まぁ最初の部分のアイディアを出すところで若干主観的な決め方をせざるを得ないんですけど、この手法は漏れなく全パターン出して検討するのが目的というよりも、アイディアをより多く広く展開するってのが狙いなんじゃないかなと思います。

本場のUCD
あとは日本の大学より、ユーザー中心のデザインという考え方が浸透してます。
僕の研究室はたまたまそういう専門分野というかテーマだったので、やってる事同じっちゃ同じなんですが
こっちはみんながちゃんと早い段階で紙でプロト作ってユーザーに見せに行くとか、ユーザーの体験のシナリオを作るとかとても自然にやってます。
元々UCDという手法自体がヨーロッパとかアメリカの方から日本に来たと思われるので当然のことなのかも知れませんが、僕は軽く感動しました。これがオリジナルのデザイン意識かと。
アメリカが本場な気もしますけど。。。(でもカスティリオーニとかサッパーもプロト作って試してたし!)

しつこくディスカス!
びっくりしたのは、先生に「ダメ、直しなさい」って言われてもなかなか引き下がらない。
もう先生の言ってる事9:1ぐらいで正しいよーってぐらいの状況でも負けずに言い返して行く。でも先生ももっと負けずにガーって喋って去ってく。
フランス人は子供の頃から常に批判精神を持ちなさいと教えられてるみたいですね。
相手の言ってる事は間違ってもそのまま鵜呑みにしない。あらゆる要素をぶつけてみてそれでも妥当だと思って初めて受け入れるって感じでしょうか。
僕はいつもココが一番ついて行けないポイントです。もう明らかにそっちの方がイイ!そっちで行こう!ってなってる時に「いやでも、コレコレこういう所が問題になってくるかもしれないからさぁ」と水を差し(水を差してるつもりではない)、他の人も喜んでそのもしも話についってってしまう。取り残される僕。そんなの作ってみてダメだったら考えりゃいいじゃんと、ついついいつも思ってしまいますがそれがココでのやり方なんですな。
逆になんでも試してみて、ダメだったらやり直すというごく日本人的なやり方は、彼らからすると「非効率的」に見えてイライラするらしいです。

とこんな事を感じながらやっております。
両方体験してみて初めて、僕の受けて来たデザイン教育ってこうだったんだなと
自分の根幹をなす基本的な考え方にひそむ癖のようなものを、少し客観的に見れるようになって気がします。


2010/05/12

ミラノサローネ(14日:初日)


ずいぶん空いたけどサローネの事をちまちま書いときます。
ミラノサローネ開幕の日は僕らホステル組は自由行動。まだサ ローネというものが何者なのか把握しきれていなかったが取りあえず行動開始。この日は先生がカスティリオーニのスタジオ見学を予約してくれていて、このイベントの為にまずトリエンナーレ美術館にチケットを買う&時間まで中を見学に向かう。


キャノンのブース。立体の彫刻みたいのに映像をプロジェクションしているものと、幻想的な映像がリアルタイムで巨大なテーブルに投影されているものの二つ が大きな展示内容。友達やDesignersBrockの人たちはいまいちって言ってたけど、僕は彫刻的なものに投影された映像もキレイだったし、巨大な テーブルも迫力があって好きだった。


でいよいよカスティリオーニのスタジオ見学。
残念ながら中は撮影禁止なので外の看板を。ちょうどタイミングよくこの前の日本一時帰国の時、多木陽介さんの「アキッレ・カスティリオーニ自由の探求としてのデザイン」を買って読んでいたので予習もばっちり。
感想としては、上手く言葉にできないけどおじいちゃんに会いに行った感じ。やっぱり僕らの先生たちってカスティリオーニとかを見て育って(?)きてて、僕らはその先生たちに、たまに「カスティリオーニってこうだったんだよ」とか言われながら教わってるから、実際見たときもやっぱりそうだったんだぁという感じだった。デザインの理想的な存在、あるべき姿に見えた。彼のようにすばらしい仕事を今、日本でやるにはどういう方法があるのだろう。

夕方になって、サローネが何たるかを全く分かってなかった僕らは部屋でワインとハムとチーズをむしゃむしゃ食べていたが、喜多さんのパーティが あるという事でかなり遅れて出発。先生に怒られるかなと思ったけど(会場で待ち合わせだったがハムが・・・)おかげで途中で前夜出会った玉井さんに偶然合流できた。

喜多さんのブースにもう先生たちはいなかったけど、なんと喜多さんが玉井さんとお知り合 いという事で僕らも少しお話させてもらう事ができた。実は僕は喜多さんには1度お会いした事がありまして。学部3年の時に家具のコンペで賞を頂いた事があり、その時審査委員長が喜多さんだったのです。結局その時に作ってもらったモデルがきっかけになって今は就職も決まったし、学内外の展示もいろいろ経験させてもらえた。なのでそのお礼が言えたのが僕にとってとても特別な出来事でした。玉井さんいなかったら話すタイミングすらなかったので玉井さんにも感謝。

ちょっと長く書きすぎたかな。
続いて弾丸ツアーで、僕の中で結構衝撃だった
インゴ・マウラーのパーティー。




何がすごいって、作品が全然意味分からないんだけど(ごめんなさい)ものすごいパワー。

まずこの大きさの照明を見たことがない。



へんちくりん。だけどデザインのエネルギーをビシビシ感じる。こういう事が世の中にあるのかと思いました。

ここでなんと吉岡徳仁さん発見!テレビの取材受けてる。


「一緒に話してるのもしかしてインゴ・マウラーじゃね?」と話してましたが写真判定の結果違うようでした。
このあと取材が終わった吉岡徳仁さんに、学生だという事をいい事に無謀にも話しかけてみた。「ぼくファンなんです!」の一発分しか話題を準備してなかったけど、少し話しただけでビシッとした誠実さを感じさせる人だった。ぜんぜんチャラチャラしてない。もっとアーティストっぽいふわふわした人なのかと勝手に思ってたので、本当にすごいファンになってしまった。

という感じでミラノサローネ開幕早々、セレブリティーな空気に触れデザインのパワーを感じた一日でした。


2010/05/11

宣言


フランス人の友達にブログに載せてある作品について聞かれたのをきっかけに、デザイン作品のページの整備(写真、パネル)と説明のバイリンガル表記をしていくことをここに宣言します!
まさか日本語で書かれてるブログなのに一生懸命見ようとしてくれてる外国人がいるとは思わなかったし、ただでさえ当初のポートフォリオ的ブログというコンセプトからそれまくりの、グダグダ日記になっていたのでいい機会です。
写真とかもちゃんとしたのに差し替えよう。てか作った作品ちゃんと全部載せよう。期限は卒業までかな。

2010/05/09

Tout les jours...


最近ちょっと忙しくて更新できてなかったので、この辺で近況報告を。

この前の金曜日は僕主催のパーティをウチでしました。FaceBookで一斉送信して友達を集め、日本から持って来た日本酒を振る舞いました。

友達が友達を呼び僕の知らない人もちらほら。いつもこんな感じです。適当ですね。最初はフランス人率が高かったのでフランス語でがんばりました。だって英語で会話してる時のフランス人たちのあのムスッとした顔。そりゃそうだよね。日本で友達んちで飲みあるって言って行ってみたら英語で会話してたらそうなるよね。

フィンランドのタピオがまた変なトラディショナルドリンクを持ってくる。なんでもいいけどあの黒いのみたいのはやめてね。今度は見た目アイスティー。でもへんな白いのが浮いてる。お手製で空いたペットボトルに入ってるのが怪しさを倍増させてる。味は炭酸の少し甘い味のなんとも言えないものだった。タピオの解説によると、水、砂糖、レモン汁、レーズン、イースト菌を入れ混ぜて、レーズンが浮いて来たら完成らしい。あの白いのはレーズンだったのね。でもなんで白いの?そして残りはまだ僕の冷蔵庫のなかに。

この日は3時頃までグダグダ話してみんな帰ってった。最後は僕、ステリオス(ギリシャ)、タピオ(フィンランド)の3人でお互いの国の問題とか文化とか真面目に話した。くしくもタイミングはギリシャの経済破綻の時。結構面白い話が聞けてよかった。

土曜日はコンピエーニュで日本関連のパーティがあると白河のヴァンサンに教えてもらい行ってきた。7時半から日本風の食事、8時半から囲碁や書道、風呂敷などの日本のもののデモンストレーションとか体験という予定だったが、実際ご飯食べ始めたのは8時半を過ぎてから、食べ終わったのが10時半過ぎくらいというものすごいグダグダぶり。さすがです。しかもその後、全く焦る様子を見せずちゃんとデザートとコーヒーが出てくるのがすごい。さすがフランス!

アクティビティだけやりに来た人はひたすらその間待っていて、子供連れの家族とかは遅くなりすぎたので何もせずに帰ったりしていた。でもここで久しぶりに日本人のファミリー何人かに会えた。みんな小さい子供づれだったりして、フランス人の子供も日本人の子供も走り回って遊んでてすごくかわいかった。

最後はヴァンサンに車で送ってもらって帰宅。いつも白河の帰りも送ってもらってるんです。娘さんのマノンちゃんは5歳ぐらいでめちゃめちゃかわいい。いつも本当にありがとう。こういう感謝の気持ちとかをちゃんと言葉で表現できないってのがすごい悔しい。お金とかも僕払ってないけどどうなってるの?とか聞いても「大丈夫ー」ってめっちゃ優しくしてくれる。でも世話になってばかりで、なんか役に立たせてくれーって感じです。せめて今度日本来たときは恩返ししたいです。

そして今日もヴァンサンちでBBQの予定。毎日飲んでばっかりですね最近。

2010/05/01

じわじわ効いてくる


僕がいつも見させてもらって勇気づけられてるブログ「フランス・アヌシー生活、帰国中」にフランスでの人種差別的な内容が書いてあったのを見て思ったことを僕も書こうと思いました。

こういうのって結構タブーというか、こういう所に書くのもって感じだけどどうなんだろう。
でもはっきり言ってやっぱりあるなぁと感じる。「ある」っていう発見を日本に居る時の僕は知らなかったからそれだけ言いたいだけなんですけど。それで今日の日記の内容おしまいなんですけど、あるんですよ意外にこれが。歴史の教科書に出てくる黒人とかじゃなくて自分に対して。

よく海外で生活してる人とかの言葉で「自分が日本人である事を強く意識するようになった」っていうのがあって、行く前は「あんまり意味分からんなぁ」と思ってたけど今は「そういう事か」という感じ。

コンピエーニュなんか田舎だからあんまり僕みたいなアジア人見慣れてなくて、結構外人扱いされてしまう。子供なんか正直だから僕の顔を凝視してポカーンとフリーズしたり、指差してこそこそ話とかしながら隠れたりする。

あー自分アジア人なんだなぁ。て感じます。
それでもすごい幸運(といって良いのかわからないけど)だったのは僕が日本人だったって事。見た目アジア人だから何となくそんな感じで対応されてても日本人って言った瞬間スッとトーンが変わるのが分かる。空港でも町でも学校で初めて会う同級生でも。むしろフランスに限った事でもないと思います。でもさすがにJapanって書いたシャツをずっと着てる訳にもいかないからあくまで普段の生活の中ではアジア人の自分というポジションで生活をしています。

あんまり気にしない事にしてますが、やっぱりそういうのあるんだなぁってちょっとショックだったり。その感情もなかった事にしようとしてみるもなんだかじわじわ効いてくる。気がつけば満員のバスの中でもしっかり黒人は後ろの方に座ることが多かったりで、ちょろっと来たよそ者には分からない、目に見えない力の存在を感じます。僕が適当に前に座ったり、後ろに座ったりしてるのを彼らはどう思ってるんだろう。

だからか、僕はこっち来てから逆に自分の服装とか表情とか気にするようになりました。海外行くと細かい事気にしなくなるっていう人もいますが僕は逆でした。相手からみたら「訳の分からんアジア人の男」だから汚い格好してたり何も喋らなかったりするだけでものすごく警戒又は相手にされなくなってしまう。オシャレって意味じゃなく浮かない服装、彼らの常識的なきれいな服装。表情やしぐさも全部改造してまず笑顔。そして喋りとしぐさで自分が何考えてるか相手から一目瞭然なように。怒ってるのか、喜んでるのか。相手の常識を探って、そのエリアから外れないように。自分は害のない人間ですよオーラを常に出すように心がけるようになりました。そうすればちょっと知らない人に道を聞くのでも反応が少し違うような。

まさかこんな形で異文化理解のために努力するなんて思いませんでした。
でもそういうエチケットが身に付いたのは良かったのかもという事にしとこう。