2009/01/27

疑り深い

僕は尋常じゃなく疑り深いんです。
物心ついた頃から中学生ぐらいまで、僕は定期的に自分の指の本数を数えていた記憶があります。指というのは当たり前に5本。
もう小さい頃からそう教わってるからそれが当たり前で、当たり前すぎて誰もちゃんと数えた事ないんじゃないかなと、もしかしたら全世界中の人が勘違いしてて本当は違うんじゃないかと疑っていたんです。

だから大学で展示会とか、仲間とグループで作業するときも、「展示会の場所とか言ってみたら意外と簡単に変えれるんじゃない?」とか「予算て意外と決まってないからもっと使えるんじゃない?」とか無責任な事を言って迷惑をかけています。
ちゃんとダメって分かった事意外は全部疑ってるんです。むしろ好きに解釈してます。今までこうだったからこうだろうみたいなのは、場合によっちゃ納得できないんです。
「疑り深い」というのは「信じ深い」ということです。

僕は自分の中でちゃんと筋の通った事を絶対いいと信じてるから、わけ分からん言い分やしがらみや慣例で決まった事では納得できないんです。
僕は今の学校が好きで、この学年が好きで、最後に「やっぱ最高だった」って言えるような展示会がしたいっていう気持ちは本当なのに、そのためにみんなで考えたDMは絶対いいと思うのに、なんで変えなきゃなんないんだよと。

グラフィック担当の友達からDMのデザインに、先生からノーが出されたっていう事と、その理由を聞いたけど全然納得出来ない。確かにその視点もあるかもしれないけど、僕らの案もちゃんと筋が通ってる。まだひっくり返すほどの事じゃないと思うのに、変えざるを得ないような感じの流れになってしまった。
自分だったら無視して進めると思うけど、最終的な判断はその友達に任せて先の通りになった。彼はグラフィックの責任者だし「おれは納得している」と言った友達を僕は信頼しているから。

でも、もやもやしてブログに書いてしまった22才の夜でした。

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